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2026.03.13
生活者の「無意識」を設計する──デザインリサーチとAIが導く、ヘルスケアイノベーション

現在、世界のヘルスケア市場における課題は地域ごとに多様化しています。日本では超高齢社会の進展に伴い、「予防・未病」や「フレイル対策(加齢による心身の衰えへの対応)」が国家規模の急務となっています。一方で、急速な発展を遂げる東南アジア諸国では、都市化に伴う生活習慣の変化から、糖尿病や肥満といった生活習慣病への備えが喫緊の課題です。
こうした背景の中、多くの企業がデジタルヘルスケア領域に参入していますが、最大の障壁となっているのが「行動変容の継続」です。どんなに優れた医学的エビデンスや最新のデバイスであっても、生活者が日々の暮らしの中で「使い続けたい」と感じるUI/UX(ユーザー体験)が設計されていなければ、社会実装は果たせません。
2026年1月27日に開催された日経クロストレンド主催のウェビナー「生活者インサイトを引き出す“デザイン&リサーチの力”」では、日経クロストレンド発行人の勝俣哲生氏をモデレーターに、サントリーウエルネス田口貴寛氏、NTTデータ横堀涼氏をお迎えし、フォーデジットCOOの末成が、デザインリサーチがいかにして「行動変容」という難題を解くのか、その最前線を議論しました。(以下敬称略)

田口 貴寛 - Takahiro Taguchi
マーケティング部門 プロダクト開発シニアマネージャー

横堀 涼 - Ryo Yokohori
第二インダストリ
統括事業本部 食品・飲料・CPG事業部 第一統括部
統括部長

勝俣 哲生 - Tetsuo Katsumata

末成 武大 - Takehiro Suenari
取締役COO
第1部 基調講演対談
「なぜ今、リサーチが企業成長の鍵になるのか」
「自己認識のズレ」を捉え、行動変容の「入り口」を掛け替える
勝俣
ヘルスケア領域では「行動変容」が大きな壁となっていますが、フォーデジットが考えるデザインの役割と、リサーチの定義を改めて伺えますか?
末成
僕たちが取り組んでいるのは、見た目を整えることだけではなく、生活者理解を起点に体験やビジネスの仕組みを設計する「サービスデザイン」です。一般的なマーケティング調査が「買うか、買わないか」という反応を問うのに対し、デザインリサーチは「その人は一日をどう過ごし、週末は何を大切にしているか」という生活の文脈(コンテキスト)を掘り下げることから始めます。
勝俣
文脈を理解することで、具体的にどのようなことが見えてくるのですか?
末成
生活者が無意識にとっている行動と、本人の自己認識のあいだにある決定的な「ズレ」です。アジアで最も肥満が深刻とされるマレーシアでのプロジェクトは、まさにこのズレを浮き彫りにした事例でした。現地でアンケートを取ると、驚くことに多くの人が「自分は健康に気を使っているし、運動も食事も十分だ」と回答するんです。でも、その実態を観察してみると、日本人の感覚とは全く異なる光景が広がっていました。
勝俣
日本人の感覚とは違うというのは、具体的にどういったことだったのでしょうか。
末成
まず運動の定義からして異なります。深く聞いてみると、車から家までのわずかな距離を歩くことを、彼らは立派な運動だと捉えていました。食事にしても、本人は果物入りの飲み物を選んでいて健康的だと言いながら、実際には砂糖がたっぷりと入った特大サイズのドリンクを一日中手放さずに飲んでいたりする。断食を行うラマダンの時期も、日中は食べない代わりに夜に一気に食べてしまうため、結果として一番太りやすいサイクルになっていました。でも、彼らにとってはそれがごく自然な日常であり、自分はちゃんとやっていると本気で認識しているんです。
勝俣
なるほど。本人ができていると思っている以上、そこに正論をぶつけても響かないわけですね。
末成
おっしゃる通りです。不健康だからもっと歩きましょうといった一方的な正論は、自分なりに努力している現状を否定されたような反発を招くだけです。そこで、入り口を「ダイエット」から「遊びの延長」へと掛け替えました。マレーシアの人々が何より大切にしている家族や友人と楽しむ時間に着目し、健康メッセージを「みんなで遊べるゲーム」という文脈に翻訳したんです。
勝俣
入り口を変えることで、彼らのマインドはどう変化したのですか?
末成
痩せるためではなく楽しいからやりたいという動機に変わりました。結果として、ゲームのレベルを上げるために体を動かすようになり、無意識のうちに運動量が増えていく。日本での認知症予防調査でも同様で、「認知症」というバリアを感じる言葉ではなく、「お肌の診断」という関心のある入り口に掛け替えることで、初めてコミュニケーションが成立しました。
健康が究極のゴールなら、どこから山を登り始めてもいい。入り口の設計を変えることは、単なる言い換えではなく、生活者の参加動機やビジネスの仕組みそのものを組み替えることなんです。
AI活用による仮説検証の高度化。リサーチを「中長期的なショートカット」へ
勝俣
なるほど。そうした深いインサイトを導き出すために、最近では生成AIも活用されているそうですね。
末成
はい。僕たちはこれまで地球40週分に相当するリサーチを蓄積してきましたが、そのデータを活用した独自のAIペルソナを構築しています。特定の思考性やターゲットプロファイルを入れると、マッチするAIが生成され、対話ができる仕組みです。これを使って本番の調査前に車内で想定問答を繰り返すことで、仮説を限界まで磨き上げることができるようになりました。
勝俣
仮想の街に100万人の生活者を住まわせるという構想も、その延長線上にあるのでしょうか。
末成
その通りです。ゲームエンジンの中に国交省の国土データをインプットし、そこに感情や嗜好を持った100万人のAIペルソナを配置します。従来のシミュレーションは統計的な「量」の予測でしたが、僕たちがやりたいのは、一人ひとりの日常の動線の中で「このタイミングでモールに立ち寄るか?」「この商品に心が動くか?」といった、感情を伴う行動予測です。
リサーチは短期的に見れば手間がかかるように思われがちですが、こうして仮説の解像度を上げることは、最終的な社会実装の失敗確率を劇的に下げます。結局、それが中長期的なビジネスにおける最短のショートカットになる。デザインリサーチを科学として可視化することで、意思決定の精度を一段引き上げたいと考えています。
第2部 パネルディスカッション
「生活者理解から始まる健康イノベーション:アジア市場の新潮流」
人生インタビューが、下位項目に埋もれた「本音」を掘り起こす
勝俣
第2部では、サントリーウエルネスの田口さんとNTTデータの横堀さんにも加わっていただきます。田口さん、サントリーさんの「人生インタビュー」という取り組みは非常にユニークですよね。全社員が実施されているというのは、文化としてかなり徹底されている印象です。
田口
弊社では、単なるニーズ調査ではなく、お客様がどのような人生を歩み、どのような価値観を持っているかを深く聞く「人生インタビュー」を全社員が実施しています。これまで2000人以上の方とお会いしてきましたが、そこで見えてくるのは、定量調査の集計結果では下位に埋もれてしまうような「真の目的」です。
勝俣
下位に埋もれる真実とは、具体的にどのようなものでしょうか。
田口
例えば、定量調査で「膝が痛い」という項目が18位くらいだったとします。普通なら見過ごしてしまいますが、N=1のインタビューで深掘りすると、その裏に「膝を治して、大好きな娘とライブに行きたい」という切実な願いが見えてきたりするんです。さらには「ライブで推しをしっかり見たいから、実は目も大事にしたい」といった、次のニーズまで繋がっていく。
末成
膝の痛みはあくまで入り口であって、その先にある娘さんとライブを楽しむという体験が、本当のゴールなんですね。
田口
その通りです。そこまで理解できて初めて、生活者の人生の目的に寄り添った多角的な提案が可能になります。
また、弊社の健康アプリ「Comado(コマド)」では、オンラインフィットネスがまるで部活動のようなコミュニティになっています。シニアの方々にとって、健康維持そのものよりも仲間との社会的な繋がりが継続の強い動機になっているのは、現場の生の声に触れ続けたからこそ得られた大きな発見でした。
「よく眠れた」という感覚をデータで疑う。主観と客観を往復する生活者理解
横堀
僕たちはテクノロジーの視点から、より多角的かつ客観的なデータで生活者の実態を捉えようとしています。具体的には「ライフログ」「ライフサイエンス」「健診」「医療」の4つのデータを統合するプラットフォーム構想です。現在、自社の非常に真面目な社員1400人を対象にPoC(概念実証)を行っていますが、血糖値の連続測定や毎日の食事記録といった、通常なら離脱者が多い負荷の高い計測も、彼らはきっちりやってくれる。おかげで非常に精緻なデータが取れています。
勝俣
1400人でそこまで踏み込んだ測定をするとは、かなり大規模な取り組みですね。
横堀
はい。さらに品川のカプセルホテルを活用した「スリープテックラボ」では、マイクや赤外線カメラなどのセンサーで、入眠時間や睡眠ステージ、呼吸状態などを客観データとして取得しています。ここで面白いのは、本人がよく眠れたと思っていても、データで見ると呼吸が止まっていたり、中途覚醒が多かったりするケースがあることです。
勝俣
ここにも、主観(自己申告)と客観(計測)のズレがあるわけですね。
横堀
そうなんです。睡眠の例でも分かる通り、本人の「眠れている」という感覚と実際のデータは全然違うことがあります。生活者理解はこの両方を往復することで深まるものですし、計測することで初めて「実は呼吸が止まっていた」といった、インタビューだけでは出てこない発見が得られる。一方で、企業側には「データはあるが、どう掛け合わせて使えばいいか分からない」という課題もよく挙げられます。これを単発で終わらせず、継続的に活用できる設計に落とし込むことが重要だと思っています。
また、最近では複数のAIペルソナを生成してAI同士を会話させ、企画をブラッシュアップするアプローチも始めています。人間が30〜40人にインタビューしてサマライズしていたプロセスをAIでショートカットし、人間は「その案をどう評価するか」というジャッジに集中する。それによって、商品開発のスピードは劇的に上がります。
末成
AIでバリエーションを出してショートカットはできても、最初と最後は、人が判断することが重要ですよね。判断をスキップしてしまうと人材育成も難しくなる。あくまで問いを立て、最後にジャッジするのは人間であるという設計が、今のリサーチにおいては不可欠だと思います。
日本の「当たり前」を捨てる。アジアの日常から捉え直すヘルスケアの「心地よさ」
勝俣
アジア市場での文化の違いについても、興味深いお話がありました。
田口
海外の現場に行くと、日本の当たり前がいかに通用しないか痛感します。例えば台湾。日本ではサプリを「毎日コツコツ飲み続ける」のが習慣ですが、現地の方は栄養が体に溜まりすぎるのは良くないと考え、定期的に種類を変えたり、むしろ「流すこと」に重きを置く健康観を持っていたりします。
末成
あ、それは面白いですね。そうした自分たちとは違う前提に気づけた瞬間、インサイト発見の気持ちよさというか、革命的な快感がありますよね。
田口
本当におっしゃる通りです。嬉しい気づきを得られましたし、手触り感のあるインサイトを見つけたいというのをすごく大事にしているので。それが商品開発の軸でもあるし、手触り感が商品開発のコアになっているなと思います。スキンケアも同様で、お宅訪問で使い勝手を見せてもらうと、推奨の2プッシュではなく1プッシュしか使っていない。理由を聞くと「これ以上塗ったらベタベタして気持ち悪いじゃない!」と。現地の湿気の中では、日本の「しっとり」は「不快なベタつき」に変換されてしまうんです。
末成
マレーシアでも、中華系ルーツかマレー系ルーツかで全然違います。中華系の方は冷え切ったものを飲まない文化があって、ビールもぬるかったりする。「飲む」という行為一つとっても違いますし、冷房のかけ方や日焼けに対する意識も、それぞれ全く違います。
勝俣
空港に降りた瞬間に、匂いからして違いますしね。
末成
そう、辛いし、匂いも違う(笑)。本来、日本のなかでも一人ひとり違うはずですが、どうしても「正解は1つであるべきだ」という思い込みがあって、なかなかアンラーン(学習棄却)しづらい。でもアジアだと、空港に降りた瞬間から「そもそも違うものだ」という大前提をスッと受け入れやすい。
勝俣
固定概念が通用しない場所に行くことで、強制的に視点が変わるわけですね。
末成
はい。APAC(アジア太平洋地域)は国内でもバリエーションが豊かで非常にセンシティブな要素が多いです。だからこそ、自分たちの常識を一度捨てて、そもそも前提が違うんだという立ち位置からリサーチを設計し直す。このプロセスが、結果的に生活者に届く体験を作るための近道になるのだと感じています。
勝俣
データ、AI、そしてN=1のインサイト。これらが組み合わさることで、ヘルスケアの未来がどう変わっていくのか非常に楽しみです。最後に、今後チャレンジしたいことや生活者理解の未来について、お一人ずつ伺えますか。
田口
お客様の声を大切にする文化は、これからも組織全体で守り続けたいですね。一方で、これからはAIが推奨(レコメンド)を行うフェーズに入ります。デジタル化の中で取りこぼしがちな人との繋がりや、細かなレファレンス、レピュテーション(評判)をどうAIに学習させ、N=1の声を紡いだサービス開発に活かせるか。ここが大きなチャレンジだと思っています。
横堀
僕たちはテクノロジーの会社として、食品・飲料業界の海外進出を科学的なアプローチでサポートしていきたいです。今はまだ、脳波を取るのに大掛かりなデバイスが必要ですが、今後はCMのABテストで脳がどう認知しているかを可視化したり、あるいはインタビュー中に「実は本音を隠していないか」を脳波で捉えたりといった、より深いインサイト解明に挑んでいきたいですね。
末成
お二人の話を聞いて、改めてデザインの役割を再確認しました。どれほど高度なデータやAIが揃っても、生活者が迷わず、無理なく、自然に続けられる形になって初めて、本当の意味での社会実装が起きるのだと思います。
僕たちが担当しているのは、まさに仕組みを人に届けていくところです。最新のテクノロジーを、一般の人たちが気負わずにフリクションレス(摩擦のない)に使いこなせるようにする。これからも、企業の目となり耳となり、デザインの力で複雑な仕組みを心地よい日常へと翻訳し続けていきたいと思います。
勝俣
データと人の声を往復し、それを体験として定着させる。ヘルスケアという難度の高い領域だからこそ、デザインリサーチが果たす役割の大きさを実感しました。本日はありがとうございました。












